ぼくらの知らない世界




    津野は怒っていた。
    練習着のまま校内を大股で歩き、各教室を睨む様に覗く。
    中に残っている少ない生徒がその剣幕に怯えた。
    一日の授業が終わり、今は部活動の時間だ。
    だが、校庭に松浦と西崎の姿はなかった。
    (あ、い、つ、ら〜!またサボって…!)
    出場停止処分が解け、練習試合が出来るようになったばかりだ。
    間もなくインターハイも始まり、部の士気を高めなければいけないが、二人の問題児は変わらずへらへらと不真面目な態度を崩さない。
    叱っても向こうが一枚か二枚上手で、気付けばのらりくらりとかわされてしまうのだ。
    今日こそガツンと言ってやる、と上手い策も持たずに鼻息だけ荒くしたとき、津野の耳に異様な声が入ってきた。
    『――アーン』
    津野はぴたっと足を止めて今通り過ぎた教室に目を向ける。
    声は微かだったが女の嬌声のように思った。
    その声の元と思われる部屋は視聴覚室で、廊下に面する窓には暗幕が引かれている。
    (ま、まさか…)
    そろりそろりとドアに近付き耳をすませると、高い喘ぎ声に交じり、くつくつという二つの聞きなれた笑い声が聞こえる。
    ぶち、と津野の中で何かが切れた。
    「何してんだーーっ!!」
    「うお」
    勢いよく引き戸を開けると、そこに“生身の”女は居なかった。
    薄暗い教室に松浦と西崎の二人だけだった。
    「なんだ津野か」
    「とっつぁんかと思ったぜ」
    言いながら二人はさして慌てた様子を見せずにふてぶてしく笑う。
    『あんっ』
    嬌声はスピーカーから流れていて、正面のスクリーンに映写された女が白い体を捩っている。
    校内での不純異性交友でなかったことに津野は安堵の溜息を吐いて、すぐに思い直して厳しい顔を作った。
    「なんだじゃない!部活に出ないで何してんだ!」
    「裏ビデオ鑑賞」
    机上に脚を投げ出した西崎が事もなさげに答える。
    「う、うらビデオ…」
    「オメーも観るか?モザイクなし和製3Pモノ」
    煙草に火をつけながら松浦が言う。
    『やぁんっ。だめぇ…』
    さっきまでは怒りで気にならなかったが、今目の前で上映されているのがAVだと思うと顔が熱くなった。
    「お、お前らそんなもの学校で…」
    『あっあっあっ』
    「見つかったらまた問題に…」
    『ああ〜ん!』
    「……」
    純情な津野はスクリーンの中で繰り広げられる濃厚な男女の絡みに呑まれてしまい、真っ赤になってついに閉口してしまった。
    その様子を見て、純情ではない二人は顔を見合わせてにやっと笑う。
    「駄目だって松浦。津野は童貞なんだから、んな刺激の強ぇもん見せたら卒倒しちまうかもよ」
    「なっ、ど、童貞じゃないし…」
    そう慌てる姿は全く説得力がなかった。
    「へぇ、いつの間に喪失したんだよ?」
    「苛めんな西崎。だが確かに部長が倒れたら一大事だよな。悪かったな津野、練習に戻れよ」
    馬鹿にしたような二人の物言いに、津野はムキになって後ろ手にピシャリとドアを閉めた。
    「童貞じゃないって言ってるだろ!そこまで言うなら観てやろうじゃんか!」
    顔を背けて西崎が吹き出す。
    「おーそれでこそ男ってもんだ」
    机の上に腰掛けている松浦は自分の隣を叩いて座ることを促す。
    津野は二人の間のその位置に陣取り、腕を組んで高鳴る胸を抑えようとした。
    また二人に誤魔化されたことは頭から抜け落ちてしまっていた。
    『はぁん…』
    無理もない。健全な男子高校生にとって、女の裸は最優先事項なのだ。
    津野は初めて観る裏ビデオというものに釘付けだった。
    腕を組み、顎を引いた上目遣いで、『仕方なく付き合ってるだけですよ』というポーズをとってはいるが、その目はスクリーンを捉えたまま動かない。
    ビデオの中で、髭面とゴーグルを付けた、二人の男が一人の女を責めている。
    何人もの少年たちの元を回った為か、擦り切れて粗い映像が臨場感を出していた。
    「…どっちが持ってきたの」
    緊張を悟られないように、津野が質問した。
    オレだけど、と西崎が答える。
    「借りもんだからオレも観んの初めてなんだよ」
    自分から質問しておいて、津野はへぇと生返事をした。
    ベッドにぺたりと座って髭面のモノを舐めている女が足を開き、その奥の赤い口を見せたからだ。
    (これが…女のあそこ…)
    津野は、裏ビデオどころかモザイクなしの女性器を見たのも初めてだった。
    だけれど…。
    「どうだよ、津野」
    そのことを察して、松浦が肩に腕を回してくる。
    津野は童貞扱いを否定するのも忘れ、うーんと真面目な顔をして唸った。
    「なんか…画面がでかすぎて」
    「な?エロくないだろ」
    西崎が指に挟んだ煙草の先でスクリーンを指す。
    「誤算だったなー」
    「止めっか?」
    「たまにはいいだろ、こんな巨乳見る機会もうないぜ」
    「ガバマンもな」
    下品なセリフに二人はケタケタと笑い出し、津野は声が外に聞こえることを危惧してたしなめる。
    二人の前で勃ってしまったらどうしようか、と思っていたがその心配は杞憂に終わりそうで、内心安堵もしていた。
    「おいおい野郎の顔はどうでもいいんだよ」
    膝立ちになりそれぞれのモノを女優に舐めさせる男優二人のバストアップショットに、松浦が難癖をつける。
    「このビデオ、カメラのセンスねぇよな。大画面で野郎の顔見てどうしろっつーんだよ」
    確かに津野も、女優を写して欲しい時に男優を撮ってるな、と思うシーンもあったが、語れるほどAVを見ていないので黙っていた。
    「やっぱ身の丈にあったサイズってもんがあんだな、なあ松浦」
    「バーカ、オレのは映画館級…」
    再び下品な冗談を言おうとした松浦だったが、画面の中の不穏な展開を目にして語尾を消す。
    「えっ」
    三人が同時に驚きの声を上げたのは、あろうことか男優二人がキスをしたからだった。
    「ど、どういうこと…」
    「ホモビデオなのかよ西崎よぉ」
    「知らねぇよ、オレは3Pとしか…」
    各々困惑する中、男優二人のキスは舌を絡め合う濃厚なものになり、一同は「うわあ…」と悲鳴じみた声を上げる。
    呆然とする三人をよそに、髭面の男優はゴーグルの男優の体を舐めながらその尻を揉み始めた。
    「…入れるのかな…」
    呟いた津野の言葉に、視聴覚室の空気が凍る。
    「見る機会ないといえばないけど…」
    「見てぇか?」
    「いやぁ…」
    そう話しているうちに、スクリーンの中の三名が体勢を変え、ゴーグルの男が四つん這いになった女優の足の間に顔を埋め、責めを再開した。
    一同はほっと胸を撫で下ろし、過剰反応だったかと思い直してそれを誤魔化すためにそれぞれ軽口を叩いた。
    「だ、よなー!そんななぁ!」
    「なぁ?はは…ところでこの女優おっぱい大きいよね」
    「ああでもぜってーニセ乳…」
    そのとき、髭面の男がゴーグルの男の尻に顔を埋めたので、一同は絶句する。
    今度こそ、三人は嫌な確信をした。
    (入れる…)
    スピーカーからは、女の嬌声と並んで野太い男の喘ぎ声が流れていた。
    「……」
    初めて見る男同士の性行為に、全員呆然と見入ってしまっていた。
    ここにいる誰もそういったシュミは持っていない。
    だが好奇心は旺盛だった。
    (聞いたこたぁあるけど…)
    (入んのか?)
    (どうやって…?)
    髭面はゴーグルの男の尻に指を突き入れ、本格的に準備に入っていた。
    ゴーグルは女への愛撫もおざなりに、大げさに喘いでみせる。
    それを見て三名の脳裏に、同じ疑問が湧いた。
    (キモチイイのか…?)
    画面の中の男二人が体を起こし、ゴーグルの男が女の腰を掴んだ。
    硬くなったモノをゆっくりと女に沈めていくが、一同にはそれが次の展開への布石にしか見えず、視聴覚室に緊張が走る。
    カメラが声を上げてよがる女を映し、後方にゆっくりとパンしていく。
    背後に控えた髭面の男が自身を育てながらゴーグルの男ににじりよる。
    ごく、と誰かの喉が鳴った。
    男のモノが男の尻の谷間に触れ、そして…。

    「ゴオォォラァァ猛裕二津野ォ!!!何をしとるんだああああ!!!」

    「ぎゃああああ」
    「いてっ」
    「ぅお」
    堂島の怒声に飛び退いた津野は隣の松浦にぶつかり、不意を突かれた松浦はそのまま机上に津野とともに倒れた。
    西崎は驚きに跳ねた脚が机を蹴ってしまい、バランスを崩してひっくり返りそうになる。
    「な…何しとるんだ…」
    怒りで真っ赤だった堂島の顔から血の気が引き、卒倒しそうに青くなっていた。
    堂島が見たのは、部活をサボってゲイビデオを見ている可愛い選手たち。
    そして男に押し倒されている一番の秘蔵っ子だった。
    『アーッ!』
    ガン、と音をさせて西崎が浮いた椅子の足を床に戻した。
    それから打ち付けた後頭部を押さえ痛がっている松浦と、細い目を目一杯開いて口をぱくぱくさせている津野、大体的に上映されている男同士の性交を見て、その状況のあまりの下らなさに自嘲の溜息を吐いた。

    「何してんだろうな」


    その直後、三人が一つずつゲンコツをもらい、校庭を十周させられたのは言うまでもない。



    END